<夢に見るカイラス>
前回、「長年行きたくて行きたくて、まだ行けないでいるのが楼蘭だ」、と書いた。
実は、もう一箇所ある。カイラスである。
楼蘭と違って、軍の許可がいるわけではない。大変な費用が掛かるわけでもない。それでも行けないでいる。
初めて河口慧海の『チベット旅行記』を読んだのはいつのことだろう。もう十四五年になるだろうか。ショックを受けた。カイラスの種が私の胸に宿ったのはあの時からだ。
河口慧海。ご存じだろうか。慶応年間生まれの僧侶である。日本の仏典は中国から渡ってきた漢訳されたそれである。慧海は考えた。より原文に近い仏典を学びたい、と。そこで思いたったのがチベット行き。
当時のチベットは厳戒な鎖国をしていた。楼蘭の発見で世界に名を馳せたかのヘディンも、ラサへの潜入を二度試み、二度とも失敗している。それでもヘディンは追い返されただけだからまだよい。何人の探検家が犠牲になったことか。
慧海はインドに渡りチベット語を学び、ネパールからヒマラヤを越えて密入国する。これが凄い。ラサはチベットの東にあるのだが、慧海は監視の目をくぐり抜けるために、西の端からヒマラヤを越える。独り荷物を背負い、無人の曠野を抜け、河を渡り、雪のヒマラヤを越える。そこにあるのがカイラス山。カイラスを巡礼し、東へ向かうこと一三〇〇キロ。ようやくラサへ辿りつくのである。
カイラスはチベットで聖地中の聖地。チベット人が、一生のうちにどうしても巡礼したい場所のひとつである。巡礼というのは、カイラス山の周りを歩いて廻ること。一周五十二キロという。慧海も廻る。彼は途中寄宿した寺からの光景をこう記す。
「その雪峰の前を流れている水は、せんせんとして静かに流れ、そのさざなみに明月が影を宿している。その月光がいちいち砕けて、実に麗しい姿を現している。その水音を聞いて私は、あたかも極楽世界で木の枝に吹く風の声が、正法の声と聞かれるように、この音もやはり仏法の音楽を奏でているかのように感じ、私の心もだんだんと深い霊妙な境涯にはいった。」
ところが、良いことばかりではない。途中、ドルマ・ラ(峠)の難所を越えなければならない。そこは、標高5630メートル。
「そこでその辺はずいぶん寒く、空気も稀薄なので、じっとしていても心臓の鼓動がはげしく、いかにも苦しかった。さいわいヤクに乗って上がったので、非常な苦しみは受けなかったが、もし歩きだったら、とても今日はここには到達しなかったろうという感じがした。」
ナクチュでカイラスに向かう若い女性の巡礼と出遭ったのは五年前のことだ。ナクチュはラサの北三〇〇キロの町。私たちは、ゴルムドからラサへ、北から南へバスで走っていた。二人の若い女性の巡礼はチャムドからカイラスへ、東から西へ歩いていた。
チャムドからここまで一ヶ月かかったという。
「ここからカイラスまでは?」
「四ヶ月ぐらいかしら」
カイラスでは、十三周は廻りたいと、そしてできれば、一周は五体投地で廻りたい、と言う。ナクチュの標高は4500メートル。私には十分に高い。目眩がする。吐き気がする。息苦しい。できればどこかに逃げ出したい。頭が重く、ボーッとする。ボーッとした頭で思う。何でここより1000メートルも高い所へ行って五体投地をしなければならないんだ。
私は、よく、あの二人の女性の巡礼を思い出す。あれは九月だった。すると、カイラスに着くのは一月か。どんなに寒いだろう。どんなに強い風が吹くだろう。無事に辿り着いただろうか? 五体投地で廻っただろうか? そして同じ道を半年かけてチャムドの家に帰ったのだろうか?
自分も行ってみたいと思う。河口慧海が眺めたカイラスの月を見てみたいと思う。5630メートルのドルマ・ラを五体投地で進むチベット人を見てみたいと思う。しかし、ナクチュの4500メートルだけで苦しんだ。雪のヒマラヤを越えた慧海さえもが「いかにも苦しかった」と言っている。行けるだろうか?
カイラスは、いかにも遠い。それに恐い。それでも、いつかは行ってやろう、と思っている。
(「トコトコ」2004年9月号に掲載)